2025年4月10日木曜日

奇跡を手繰り寄せる男、上野雄大

フリースタイルスキーのパイオニアとして、コンパスハウスの代表として、長年活躍してきた上野雄大氏。

野沢温泉村出身。


多くの自治体と同じく、昨今の著しい変化への対応を強いられている野沢温泉村をより良くするために村長選に立候補し、現職との20年振りの選挙に挑んだ。


一般的に首長選挙において、現職は88%の勝率を誇ると言われる。

議員選挙と違い、当選はたったのひとりだけなので、現職の存在感や体制が変わることへの懸念がそうさせるらしい。


今回の野沢温泉村長選挙において実際に民意を示すのは、世界的なリゾートとはいえ、長野の北端の保守層世代が多数を占める過疎ぎりぎりの小さな村の方々。

そこに現職が16年築いた硬い地盤。

現状は、圧倒的不利とされた厳しい選挙戦だった。


そこに雄大さんは、リゾートとしての繁栄に対してシワ寄せを被る村民の生活苦というパラドックスを明るみにし、生活の改善に向けた具体的な提案を、地道に丁寧に、なにより魂を込めて訴え続けるファーストペンギンとなった。

それは野沢温泉を愛するが故の言動であり、それが多くの人の心を掴み、ムーブメントを起こし、鮮やかな逆転劇を演じてみせた。


そして投票率79%という、現代日本においては異例の注目度となった一騎打ちを見事に制し、首長となった。


人を思い、情熱を燃やす、雄大さんの人柄。

加えて、逆境になるとゾーンに入るアスリート気質が手繰り寄せた奇跡だったように思う。

思い起こせば、私は過去にも雄大さんの奇跡を目の当たりにしていたことを思い出す。













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初めて雄大さんのことを知ったのはもう20年以上前。

当時、バッドボーイな雰囲気がイケてるとされていたフリースキーシーンに颯爽と現れた、アスリート感溢れる本格派スキーヤーは、今はなき札幌・真駒内のハーフパイプを転んでも食らっても誰よりも高く飛び続けていた。


その後、世界で戦うレベルにまであっという間に登り詰め(もちろん人並みはずれた努力あってのこと)、一躍雑誌やテレビの中の人となった。

そして世界トップライダーが揃ったワールドクラスのコンテスト『NFO』で日本人唯一のファイナリストとして躍動し、奇跡を手繰り寄せた。

幸運にも、鳥肌の立つ瞬間を私は目撃することができたのだった。


その後もワールドカップや世界選手権出場など数々の奇跡を起こし、常にシーンの先頭で、私たち日本人のフリースキーヤーにワールドクラスの景色を見るチャンスを与えてくれた。

そしてまだフォーマットも何もなく、遊びの延長に留まっていたマイナー競技において、後に海外転戦する後続に道を示したファーストペンギンだった。



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そんな雄大さんが、アスリート引退後の第2の人生として選んだ道が、地元野沢温泉に開いたスキーショップの経営だった。

『コンパスハウス』というブランドで、自身の経験とスキーの魅力を伝える活動をしていたわけだが、ひょんなことから『事業を手伝ってくれませんか?』とお誘いをいただいた私。

身に余る想いに驚いたが、熱意に共感して共に汗を流すことに。


するとフリースタイルスキー界のパイオニアは、近づくほど誰よりも人間臭く、とても雑誌やテレビの中の人とは思えぬ、無垢な親しみやすさで手の届く距離にまで下りてきてくれた。

この人柄が仲間を作り、ファンを作り、背中を押す応援の風を作るのだ。


それから9年間、雄大さんの右腕として過ごし、今回の奇跡を手繰り寄せた瞬間に立ち会うこととなった。



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この9年間、雄大さんとは、ビジネスでのアシスタントとして

カナダや北海道利尻島、大雪山、立山などを含む国内外の雪山での冒険のクルーとして

あるいは山岳レースのバディとして

数えきれない厳しい状況を共に過ごした。

そして厳しい状況にいる上野雄大を、およそ日常生活では見ることのない姿を、真後ろから支えて来た。











そんな私がおこがましくも思うこと。

雄大さんは、厳しい状況にあればあるほど、集中力が研ぎ澄まされ、ギアが一段と上がる。

私など厳しさに負けて妥協し始めてもなお、自らを奮い立たせ一歩を踏み出す。

その逆境でのメンタルの強さは超人と呼ぶに相応しかった。


なるほど。

このメンタルにしてこれまでの功績なのだ。


それでも当人は、そんな輝かしい過去すら『何も成し遂げていない』と悔やむ。

どこまでも歩みを止めない男。

奇跡を手繰り寄せる人とはこういう人なんだろう。


多忙の投開票日前夜に、二人きりでそんな会話をもった不思議な時間があった。


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雄大さんは、圧倒的不利とされた孤独な戦いで、転んでも食らっても立ち上がり、神がかった公開討論会や演説で戦況の風向きを変え、どんどん増える仲間の期待を背負って誰よりも高く飛んでみせた。


想像できるだろうか。

見ず知らずの人も含めた全住民に、自身が首長に相応しいか判断されるその重圧を。


本人はもちろん、ご両親やご家族、そして雄大さんを支える多くの仲間の涙。

重圧から解放され、大事を成し遂げた者のみが知ったであろう歓喜。

人生の中でも忘れられない瞬間だった。


そろそろ、ご自身で自分を褒めてみてもいいのではないか。






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当選の知らせを受け、私はこれで雄大さんの事業を真っ向から継ぐこととなった。

同時に残念ながら雄大さんの右腕ではなくなり

雄大さんは、また手の届かぬ新聞やテレビの中の人になってしまった。

嬉しくも寂しい、でも心の底からめでたい奇跡。


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雄大さんは村長として第3の人生を歩み始めた。

愛する地元野沢温泉にさらに貢献する茨の道。

決して簡単な道ではないだろう。


でも初登庁の時のアスリートらしさが醸し出す凛々しさと

首長らしからぬ深々とした謙虚なお辞儀を見れば、期待せずにはいられない。

こういう政治家が増えれば日本は変わると断言できる光景だった。







雄大さんが、その情熱をかけて『豊かな村にする』といえば、本当に豊かな村になる予感がする。

かつて雄大さんが、ワールドクラスのスキーシーンに割り込んでいきそのシーンを身近に見せてくれたように、今度は政治のシーンに割り込み政治を身近にしてくれるはずだ。


ここからさらなるムーブメントが始まる。

多くの地方再生のきっかけになるかも知れない。

空白の30年間を生んだ政治とその世代の政治家へ向けた答えを探し出す希望さえある。


多くの若者が、政治に関心を寄せ、政治の会話がカジュアルになりますよう。

政治が真に人のためのまつりごとでありますよう。


私たちも一員となり、それぞれの立場で雄大さんの意思を継ぎ、奇跡を『つなごう』ではないか。





株式会社ドリームシップ

代表取締役

河口尭矢